染色加工などについて
反応染料
スレン染料
分散染料
顔料
直接染料
カチオン染料
ナフトール染料
アゾ染料・アゾイック染料
(特定芳香族アミン)
蛍光染料(蛍光増白剤)
キナリ カス残し
オフ白
P下
スクリーンプリント
ロータリープリント
昇華転写プリント
連続染色機
液流染色機
ジッカー染色機
ウインス染色機
糊抜き
精練
漂白
シルケット加工
ワッシャー加工
排水処理
品質試験について
目付け
引張強さ
引裂強さ
破裂強さ
滑脱抵抗力
寸法変化率
伸び率
伸長回復率
耐光
洗濯
摩擦
色泣き
塩素処理水
昇華
ドライクリーニング
ウォータースポット
ホルムアルデヒド
ホルマリン
ノーホルマリン加工
特定芳香族アミン
PFAS
pH測定
はっ水性 
吸水性
速乾性
防汚性(洗濯での汚れ落ち)
帯電性
ピリング
スナッグ
遮光性
抗菌防臭加工
抗菌性
抗ウイルス加工
接触冷感
保温性
洗濯後のしわ
取扱上の注意
洗濯絵表示
洗濯用合成洗剤
蛍光増白剤
色の基礎知識
演色性
柄の基礎知識
麻の葉
製品の知識
座ぶとんのサイズ
ベッドスロー
便利なホームページ
一般財団法人
ボーケン品質評価機構
 
 (略称 / ボーケン)
繊維の名称を示す用語
洗濯の絵表示(PDF)

丹後ちりめんの知識


・丹後織物産地、丹後ちりめんの歴史

丹後は古くからの養蚕の地であった。その証拠に古墳から絹織物が出ている等、他の養蚕の
盛んであった国と同様に早くから絹織物が作られていた。記録によると、奈良時代、天平年間に
「あしぎぬ」を調貢したとあり、正倉院御物のうちに現在でも残されている。「あしぎぬ」は「悪し絹」
とも言われるように平織の素朴な織物であった。
平安時代には、「精好」が織られ、これは高級な絹織物として上層階級の衣服に用いられていた。
時代を下り、江戸時代まで織継がれてきた丹後の「精好」は、高級品が故に販路が狭く、次第に
先細りの傾向にあった。相次ぐ凶作と「精好」の衰退の中、丹後縮緬は、この厳しい状況を打開しようと
する先人達の粘り強い努力によって生まれる事になる。
江戸時代の享保年間、峰山藩の絹屋佐平治(森田治郎兵衛「ちりめん織の始祖」)と宮津藩の
山本屋佐兵衛、手米屋小右衛門の3名が時をほぼ同じくして西陣に赴き、機屋に奉公に入った。
ちりめん織の技法は主として横糸の撚糸に有る。撚糸の工夫はその糸の太さ、撚り回数に加えて
熨斗の掛け具合などにあり、これらがちりめんの善し悪しや趣向を決める。苦労を重ねた上で伝授
され、あるいは密かにその真髄を盗み出し、ちりめん織の技法を覚えた3名は、国元へ帰りちりめん織
を始めた。当時流行のちりめん織の技法故、これが丹後にもたらした恩恵は計り知れないものがあった。
この3名は請う人がいれば臆することなく教え、瞬く間にちりめん織が広まっていったのである。
天正年間に御朱印船によって明国より伝わった「ちりめん」は西陣で盛んに織られていたが、ここに
その技法が丹後に定着していったのである。享保15年西陣を襲った大火により、当時西陣にあった
7、000台余りの織機の半数が灰となり、たちまち絹織物の品不足となり丹後産地に注文が殺到し、
これにより丹後はちりめんの産地としての基盤が出来上がったのである。
幾多の変遷を経て、明治初期には40万反の生産量が明治末期には150万反を超え、織機台数も
1、400台から4、000台を超え、3倍の生産量となった。その後、外貨獲得のための重要産業であった絹業
が国策に支えられて目覚しい発展、生産の増加を続ける中にあって、丹後縮緬は和装用途の内需向け
織物であり、他産地の輸出産業とは対照的に生糸の手当てが難しく、時には綿ちりめんの開発、
屑繭を用いた絹紡ちりめんの開発等、苦心惨澹して産地を守り発展させてきたのである。
大正から昭和初期にかけては、力織機の導入と本来の生糸を用いたちりめんの生産に拍車が掛か
り、産地規模が拡大し、生産額も激増した時期である。同時に産地組合の設立と国練り検査制度の
実施という産地にとって画期的な展開が進み、丹後ちりめんの黄金時代を築いたのである。この頃縫い
縫い取りちりめんも開発されたのである。ちなみに昭和10年には織機台数14、558台、生産量533万反
を数えた。
戦後、国民生活が少しずつ豊になるに連れて、丹後ちりめんはその生産量を伸ばしてきた。その間
縫い取りちりめん、変わり無地ちりめん、紋意匠ちりめんと、それぞれの時代のヒット商品を生み出し
ながら生産量を増大していった。それに伴い、精練を受け持つ丹後織物工業組合加工場は次々に最新
式の設備に更新していった。昭和48年には年間生産量が996万反となり、西陣の出機の帯の生産
も増え丹後は和装のちりめんと帯の最大生産拠点となったのである。
しかし、その後輸入品との競合と需要の減退により、平成12年には和装用途のちりめんの生産量
は最盛期の15%に満たない137万反となったのである。

・新しい丹後ちりめんの幕開け

幾多の苦難の道のりを経て、歴史と共に成長発展してきた織物である丹後ちりめんは、現在その
素材を絹からレーヨン、そして合繊へと推移させ、昭和45年頃より合繊ちりめん「ポリチリ」の開発に
着手し、現在に至っている。これを期に丹後の総合産地化が具体的に始動し洋装への進展がスタート
し、丹後独特のファッションの育成と、そのトップレベル化を目指し、技術の研鑚と工夫を重ね、今日
の揺るぎ無い特化産地として君臨するまでに成長した。
この合繊ちりめん「ポリチリ」は、厳選された糸に丹後独自の八丁撚糸機を用いて、横糸に強い撚り
を掛け製織されるもので、この強撚糸の持つ特性により、しなやかで、光沢があり、ハリと腰、ドレープ性
といった総合特性を有する布面として、他のまねの出来ない、文字では表現出来ない風合いを持つ
丹後ちりめんの服地が出来上がるのである。現在では、この丹後ちりめんは、丹後の歴史が脈々と息
づき、見事に完成された感性豊かな織物としてファッション業界に認められているのである。
又この製織技術と平行して精練加工に置いても、伝統的な絹の精練に習い、丹後で完成された合繊
減量加工を用い、精練職人の手により一点一点吟味し、独創的技術を駆使し、奥ゆかしい、ちりめん
シボの発現と、しなやかでドレープ性豊かな、格調高い商品として今日に至ったのである。
この様に、常に伝統に囚われず、我々の手で丹後の技術を後世に伝承し、日々お客様のお気に召す
商品の開発に研鑚と工夫を重ねております。一度でも着用して頂きますと、必ずやお客様のお気に召す事
と自負しております。


「丹後ちりめん」「ポリチリ」は丹後織物工業組合の登録商標です。
             ホームページ http://www.tanko.or.jp

Copyright (C) isshiki textile CO.,LTD. 2003 All rights reserved.